海藤 春樹と光

光って不幸でしょ。
だって、光があたらなければ、なにも見えないのに、
水や空気のことよりも、もっと、だれにも、まじめに考えてもらえないまま、
ここまできちゃったでしょう。


球を投げても相手が捕らえられなかったら、
キャッチボールが成り立たないでしょう。
球はどこかにきえるだけでしょう。
何かが伝わった時、
初めて表現というものは成り立つわけです。


それには自分をどこまでなくせるか、
どこまで透明人間になれるか、どこまで勇気を持って
対象に寄りかかれるか、
ということにかかっていると思います。
ほんとは真っ白にはならないけれど、でもいつも真っ白にと…。


意味ありげっていう、その意味をなくすのが逆に大変なんです、
気合がいるんですよ。
意味にしないでやらないと照明は面白くないんです。


足し算して作っていくのではなくて、
減らしていく作業だという気がすごくします。
舞台だって、役者にいろんな条件をつけて演らせるよりも、
いろんなことを取ってやって、その人がどいう人として、
その空間と時間にいるかを観せるようになる気がします。


音にはタッチというものがあるでしょう。
その微妙な差を楽しむということでしょう。
それが不思議だったんです、
何故光がそうならないかが…。
音と同じく光にもタッチがあっていいわけですから。


抽象的な場を作る場合、
ほんのちょっとしたことで場が変わってしまいますから、
それが不思議といえば不思議です


音にはタッチというのがあるでしょう。
その微妙な差を楽しむということでしょう。
それが不思議だったんです。
何故光がそうならないかが…。
音と同じく光にもあっちがあってもいいわけですから。

『LIGHT COMPOSE 時空表現としての光、
あるいは、強すぎて誰からもかまってもらえなかった、かわいそうな光。』より

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林 英哲

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